スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  

Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年07月27日

明治探検隊Ⅶ ~泣いても笑っても明後日まで~

いよいよ週末を迎えるわけですが、みなさま如何お過ごしでしょうか?
昨日2ちゃんねるで晒されて何だかな思いつつも、本日ネットを通じてお見積もり依頼を受けてテンションが上がり気味のメタボ兵ことしんじです。
今回の日記のネタはこの二つは関係ありませんが。(近いうちに取り上げるとは思います)

今回の日記は明後日に終了を迎えた明治探検隊Ⅶの件です。
(”明治探検隊とはなんぞや?”ってかたはこちらをチェック!→http://www.meijimura.com/event/tankentai7.asp
明治探検隊がらみの日記をあんまり上げていませんが、実は桜の季節やらなんやらで数回はいっていますw



ただ、いつもは兄者夫婦と自分と嫁でチームを組んでワイワイやっているのですが、今回は兄者が膝の治療の為リタイヤ。
それに伴い義姉者も取りやめ。我が嫁者は桜の季節のみ参加というちゃっかり仕様。
一人ぼっちのロンリー探検隊でゴールデンウィーク前後は仕事が忙しくて参加できず。
合間を縫って参加するも劇的な進歩も中々なくてネタにし難くブログ更新できなかったと言い訳をさせていただきます(^_^;)

と言う訳で、ざっと今までの経緯の説明。
コードⅠ・Ⅱは何とか桜の季節に終わったのですが(Ⅱは嫁者の助けが大きかったです)Ⅲはマジで難しい。
明後日に探検隊自体が終わってしまうのに未だに終了していないです。
変わりにコードⅣは先週の日曜日に宝探し関連のマイミクさんの助けを大いに借りて何とか終わっては居ますw
ギリギリで本当に何とかって感じでしたがwww
最後の答え合わせもすでに探検隊コーナーを片付け始めていた時でしたが、快く受け付けてくれました。
正解を確認した後、その場でコードⅤの問題を買ったのですが明治探検隊の送り出しの儀式もやってくれた事に感謝ですm(__)m

探検隊の事ばかり書いてもなんなので、明治村の写真をボチボチうpしていきます。



この汽車は自分の地元、津島と一宮の間を走っていたSL。
ひょっとしたら俺の爺ちゃんか曾爺ちゃんがお世話になったのかも知れない。



この桜の木がある建物は名古屋衛戍病院。
中には大正時代に作られたX線装置、今で言うレントゲンも展示されている。

その衛戍病院の桜の根元から咲いていた散っちゃい桜の花↓


ここからは初夏の明治村



この写真は最初のSLを展示されている鉄橋を上にある明治村内のSL名古屋駅から見下ろした写真。
後ろに見えるのが入鹿池。
入鹿池はたまにドラマのロケ地にもなっているんだZE!



この写真は明治時代の歌舞伎等が行われていた演劇場の呉服屋。
修行中時代に名古屋の御園座関連の仕事をやった事がある身としては感慨深いものがある。
もちろん、下っ端だったけどwww



この床屋は石川啄木が避暑地にしていた本郷喜之床。
明治村には著名人の住居だった建物も多くあったりします。



この建物は先ほど桜の木があった名古屋衛戍病院を下から見上げたところ。
木陰が大いに助かりましたwww



この教会は聖ヨハネ教会。
明治村の教会といえばザビエル天主堂が有名だけど、聖ヨハネ教会もなかなか素敵なデザイン。
レンガ造りで欧米の昔の教会を思わせる。
数年前の探検隊で雨の降る中、兄者と他のチームの主要メンバーで作戦会議をしていた思い出もあったりする。



先ほどの聖ヨハネ教会の下にある池のアヒルちゃんたち。
ふ菓子(100円)を持つとごらんの通り凄い勢いで集まってくる。



学習院長官舎の入り口に展示されている乃木元帥のPOP。
この様な偉人を思いを馳せられるのも明治村ならではかも知れない。



明治村内で今年の自分の住所でもある森鴎外・夏目漱石住宅の縁側の写真。
この家で森鴎外は「文づかい」等を執筆し、夏目漱石は「我輩は猫である」を執筆した。
作中に書かれる家のモデルでもあり、書かれている猫の為のくぐり戸もあったりする。
明治探検隊のマスコット”ワガハイ君”の住所でもある。

撮り貯めしていた明治村の写真は以上かな?
探検隊の同士諸君にはありふれた光景で申し訳ない。
明治村に来た事が無い人には新鮮なものもあったと思いたいが。

なんのかんのとダラダラしてしまった明治探検隊Ⅶではあるが、泣いても笑っても明後日が最後!
まだ、コードⅤまで解いていない探検隊の同士諸君の健闘と目的達成を祈って日記を締める。
それでは、また。
  


Posted by しんじ  at 18:40Comments(0)探検隊